【キャリアップインタビュー】第一グループマネージャー 松岡賢一郎

2019年2月インタビュー実施

ネストでの歩み

1年目   2ヶ月の配送助手ののち、1.5tのトラックに乗車し家具メーカーのチャーターを担当する
2年目   3tトラックに乗車し家具の宅配業務に携わる。長距離の配送も担当するようになる。
4年目   4tトラックに乗車し、コンビニエンスストアの夜間配送に着任する。リーダーになる。
8年目   家具メーカーのアウトソーシングを請け負うため、内勤業務へ異動になる。
9年目   本社にて引き続き内勤業務として家具の配送ルート組を担当する。
10年目 本社が現在の馬木営業所へ移転し、営業へ配属となる。課長になる。
12年目 再び現場に戻る。本社の所長になる。
14年目 再び内勤に戻り、トラックの配車組を担当する。
23年目 第一グループマネージャーに就任する。

 

キャリアアップ総合職1

 

グループマネージャーとしての現在

第一グループマネージャーとしてグループ全体を統括している私の仕事は、売り上げ管理、各営業所の教育、営業所同士の連携など名前の通り、グループの運営全般を担っています。各営業所の指導では、「個々が頑張ればよい」という区切られた関係ではなく全営業所が一体となって、全体で売り上げを上げていくという意識を持ってもらえるように指導しています。各営業所同士、敵対意識を持つのではなく、もっと風通しのよい、それぞれが同じ目標に向かって輝いていけるような職場づくりを目標としています。そのために営業所では直接現場で指導したり、繁忙期には現場に出て作業をすることもあります。各営業所スタッフと直接業務に携わるなかで、それぞれの個性やストーリーに直接触れることができるのはとても楽しく、スタッフとの信頼関係を築いていくことにやりがいを感じています。

仕事のスケールの大きさを徐々に実感

入社してしばらくは1.5tのトラックを運転していました。当時3tトラックに乗車する先輩の評価はお世辞にも「お手本になる指導者」とは言い難いものでしたが、なぜかかっこよく、とにかく楽しそうに仕事をされているのが印象的で、早く先輩のように大きなトラックを運転したいという憧れの気持ちでいっぱいでした。吸収できることはどんどんしていきたい、できる仕事をどんどん増やしていきたい、という思いでひたすら仕事に没頭する日々でした。
入社して4年ほどは現場で家具の配送を行ない、運転できるトラックの大きさも1.5tから3tと徐々に大きくなっていき、できる仕事の幅がどんどん広がっていきました。 入社して4年が経ったころ、コンビニエンスストアの夜間配送を任されることになりました。運ぶものが家具からお弁当や、お菓子、飲料、雑貨などに変わり、さらに夜勤の仕事になったので、生活リズムが昼夜逆転し生活環境もガラリとかわりました。
夜勤をやっている頃は、仕事終わりに友達と過ごしたくても、皆は仕事中なので遊ぶ時間が合わず、ひたすら仕事の毎日を送っていました。

まさにどん底からの起死回生!

コンビニエンスストアの夜間配送に着任した当時、全国のマナーアップキャンペーンで広島県が全国ワースト1位。このまま全国で最下位の状態が続く場合は、「契約を更新しない」と先方に告げられた時はまさにどん底からのスタートでした。「徹底的にやってやる」と起死回生を自身の胸に誓い、年齢関係なく、社員と喧嘩をしてでもとにかくやりきるという思いで品質向上に努めました。 今では考えられないことですが、当時は制服がありませんでしたので、服装の指導、名札を付ける、挨拶をするといったことを徹底しました。当時のメンバーには、さぞ鬱陶しい社員だったと思いますが、待っているだけでは道は拓けませんので、とにかく何度も何度も口を酸っぱくして指導に取り組みました。当時は私一人だけではなく、上層部の先輩方の協力も仰ぎ、徹底的な指導に取り組みました。その結果、翌年のマナーアップキャンペーンでなんと全国1位を獲得することができたのです。ワースト1位からの起死回生は、涙が出るほど嬉しかったです。

人生二度目のどん底

入社して9年目の時に家具メーカーのアウトソーシングに着任しました。現場から内勤の仕事に変わり、人生で初めてトラックから降り、仕事の雰囲気がガラリと変わりました。内勤の仕事では「配車組み」をメインでおこない、配送から品質管理までをネストで管理していました。順調に見えたのもつかの間、アウトソーシングの契約が終了。同時期に家電メーカーの配送の契約が終了したので、自身の担当していた仕事がなくなるだけでなく、会社としても深刻な危機に直面していました。その後、徐々に引越しに力を入れるようになり、私の仕事は営業職にシフトしました。当時はインターネットがあまり普及していない時代ですので、チラシを一軒一軒ポスティングし、毎日引越しの見積もりを取りに行く日々を過ごしていました。また、不動産への営業活動も積極的におこなっていき、徐々に受注規模が大きくなり、新築マンションの一斉搬入の依頼や、事務所移転の依頼を受けるまでに成長していきました。 受注規模も大きくなり、社員も増えていくなかで、「再び現場に戻りたい」と思うようになりました。入社してしばらくは現場でしたが、その後内勤の仕事に就き、トラックの配車組み、ルート組み、品質管理、営業という経験を経て、現場と内勤の両方を経験した立場でもう一度現場に戻って活躍したいと思い、入社12年目で再び現場に戻ることになりました。

現場と内勤の両方を経験したからこそ磨かれた力

入社12年目で再び現場に戻ってからは、引越しの作業に追われる毎日でした。1日に複数の引越しをこなすことは日常茶飯事でしたが、もともと体を動かすことが好きな性格だったので、内勤から現場に異動しても苦痛に感じることはありませんでした。当時一番強く心に思っていたことは、「絶対に他の人よりも仕事をやってやる」という気持ちでした。入社8年目から12年目のときに経験した内勤の仕事は、確かに自身を変えてくれ、これまでとは考え方や物の見方が変わり、チーム・組織を意識するようになりました。目の前のことだけにとらわれず全体を意識することは重要とはいえ、これは経験を重ねたからこそ断言していえること。その時期に、広島本社の所長に昇進しましたが、正直私がそのように営業所を統括する立場になるとは思ってもいませんでした。

エリアマネージャーという立場

立場がどんどん上になるにつれ相談される内容も変わっていきました。一刻を争う問題が多く、素早く判断することが非常に重要で、YESまたはNOで返答する場面が多くなりました。そのような相談を持ちかけられたときはすぐに返答をしてあげるように心がけています。時には精神的な悩みを相談されることもあり、個々の問題の背景をきちんと理解し、本人自身が最終的に「頑張ろう」と思えるようなアドバイスをするように心がけています。相談されるだけでなく、フレンドリー過ぎない距離を保ちながら、私の方から最近困っていることはないか?と声をかけ、相談しやすい雰囲気や環境を作るようにしています。 自身の相談は社長をはじめ、副社長、専務、部下にもしています。相談できる人がいることは本当に恵まれた環境だと思います。

ネストで働き続けられる理由は

「楽しいから」この一言に尽きます。ネストの仕事、雰囲気全てが楽しいです。もちろん何度も落ち込むことはありますが、それでも楽しいと思い続けられているのは、一緒に働くメンバーに支えられているからです。いくつかの崖っぷちに立たされたとき、一人ではなく多くのメンバーに支えられました。社員、アルバイト、お客様。毎日多くの人と関わりますが、強い信頼関係で仕事を築いていけること、人の温かみを常々感じています。近年社内の情報を「社内報」を通じて積極的に社外に配信するようになりました。社内報では広報のメンバーが毎月企画を練り、各営業所の様子やスタッフの紹介、社内イベントの報告などをおこなっています。社内報を各営業所、従業員家族、お客様に配布しており「楽しそうな会社(営業所)だね」と言われる機会が増え、すごく嬉しい気持ちでいっぱいです。